その始まりは、杉井伊三郎が酒造業を営む本家からの独立。
杉井本家の酒「富士勢」と静岡県では初となるキリンビールの卸売りをはじめました。
まだ世間ではビールを知らない、そんな時代。
「杉井の伊三郎は変な色の酒を売っている」と言われるほど、今日からはまるで考えられない世の中。
しかし、明治時代は既存の価値が大きくかわり、新しい文化が花開いたまさにに文明開化の時代。
伊三郎は当時としては背が高く派手好きと伝わっているので大いにその文化を楽しんだことでしょう。
杉井本家は北条氏の家来であり五百石の録を頂いておりましたが、天正17年、豊臣秀吉による
小田原征伐の折遠州に逃げ延びその後、今の藤枝(高洲村築地)に落ち着きました。
江戸の末期から杉井長左衛門の次男である吉蔵が酒造業を営みその息子が弊社の祖である伊三郎
となります。
ですから今年で創業123年。
現在は酒類卸売業とワイン専門店の二つの柱でがんばっております。
清酒「富士勢」は、戦後に酒造業を廃業し現在では幻の酒。
当時は、おいしい酒と評判だったと聞いております。
時代も変わり酒造からビール、そして私の時代はグローバルなワインと時代と共に歩んでおります。
「左から3番目第2代社長隆治、4番目が小西様、5番目が第3代社長幹生」
キリンビールの黄色一色で存在感がありました。
第2代社長である隆治は戒名「麒隆一徹居士」となり麒麟ビールと一体となり永遠の眠りについています。
キリンビールの特約卸として静岡県内初となるビールの取り扱いを致しました。
そして明治屋、秋田の「太平山」、広島の「はこざけ一代」、山形の「沖正宗」
新潟の菊水酒造「ふなぐち菊水一番しぼり」は県内初となる取り扱いをさせて頂きました。
販路も第3代社長である幹生の時に大幅に拡大。
静岡県中部全域と愛知県の東側一部までと年商も約30億円となりました。
毎日、キリンビールのケースが見上げる程に高く積み上げられそれは爽快な風景でした。
昭和57年にはキリンビール社長であった小西秀次様が弊社2代社長である隆治の米寿の祝い
に弊社を訪問されました。
弊社の逸話の一つとして小西様が当時警察庁長官であった後藤田正晴氏に電話で「高速道路をスピードを出して帰るので頼みます」と電話したとか・・・・・。
昭和の高度成長期はこんな伝え話も納得できる時代でした。
弊社に伝わる数多くの逸話は歴史の重さでもあります。
企業30年説と言われる時代ですが、現在はもっと短く感じます。
1世紀以上続く企業はほんの10パーセントと統計が出ています。
ですから長く続く企業は地元で信頼のある立場だと痛感致しております。
そして、有り難い事にアルコールを一世紀以上に亘り携われ幸せだと感謝をしております。
地元のタクシーへ弊社特約であった清酒「太平山」の広告を載せる。(昭和40年代)