ブラームスの交響曲第4番。
もう、数えきれないくらい鑑賞した。
両親と過ごした時間より長く付き合っている。
ですから様々な指揮者で聴き素晴らしい体験をさせてもらった。
レコードでもCDでもコンサートでも・・・。
N響で古くはスィトナーやブロムシュテットはコンサートで聴いた。
マゼールもコンサートで体験した。
晩年のチェリビダッケも生で体験、繊細な演奏はフランス的ですらあった。
完成度が極めて高く成熟した作品。
故にどの演奏も素晴らしく響く。
ですが、フルトヴェングラーのライブ録音は他を圧倒。
さすがに音源は古く1948年10月24日ライブ録音。
モノラル録音でさすがに細かいニュアンスは聴きずらい。
そんな事は、どうだっていい。
フルトヴェングラーの貴重な演奏が録音されているのだから。
演奏の素晴らしさに比べたら些細な事だ。
フルトヴェングラーの催眠にベルリン・フィルは完全に落ちた。
人間臭い哀愁を称えながら躍進する。
時に自然現象なのか火山の爆発程の力が噴出。
時に、母親が子供を思うやわらかい表現。
心の深みに添い染みる・・・。
(フルトヴェングラーが指揮した第4番は、音質が良くないものが多い。
しかも、録音で残っているのが少ない。
ですが、どれもフルトヴェングラーの魂に触れられる。)
この演奏を聴くと、ブラームスはここまで想定して作曲したのか・・・。
と自然と思ってしまう。
残念ながら、フルトヴェングラーの芸術的後継者はいない。
考古学者を父に持ち、特別な教育を受けその天分が開花。
そんな天才も2つの大戦で苦悩し葛藤をした。
政治に疎く、人間関係も得意ではない。
ヒンデミットの音楽を擁護したりユダヤ人を救い。
結果、ナチスと鋭く対峙。
しかし、ゲッペルスからすると彼は扱いやすい人物である。
宣伝活動に利用もされた。
そんな苦悩した音楽家・・・。
それが演奏にも宿っている。
ドイツ音楽を体現できる数少ない指揮者だったと思う。